大師寺は、奥武蔵野の癒し所「毛呂山」鎌北湖畔にあります。鎌北湖は県立黒山自然公園の中核をなす、周囲2kmの小さな貯水池。山峡に静かにたたずむ美しさから、別名「乙女の湖」と呼ばれています。ボートに乗り、湖面から見る鎌北湖の姿は優雅で、春は桜、夏は緑、秋は紅葉が美しい湖で、奥武蔵自然歩道の入口にもなっているため、多くのハイカーが訪れています。へらぶな釣りなどを楽しむこともできます。また隣接する四季彩の丘公園はその名の通り、桜以外にもツツジやアジサイなど四季を通じて花と親しむことができるスポットです。 このような自然に恵まれた地にある大師寺は、湖畔から木立の中を歩いておよそ5〜6分のところにあり、山々の緑にいだかれるように建立されています。
弘法大師(空海)は774年に讃岐(現在の香川県善通寺市)で誕生、幼少より聡明でありました。15歳の頃官僚になるため長岡京に上り勉強され、18歳で大学に入学。その頃吉野や葛城山で仏道修行している修業者に出会い大きな影響を受けられ、自分の進むべき道が仏の道であると決意しました。周囲の反対を押し切って大学を辞め、誕生の地の石鎚山や大瀧獄、室戸崎などで「虚空蔵求聞持法」などの厳しい修業をされました。 その後名前を「空海」と改め、遣唐使の一行として唐にわたり長安の青龍寺で「恵果和尚」より密教のすべてを教わります。帰国後密教を中心とした仏教興隆に務めました。また教育普及や社会的事業にも尽力されました。 835年に高野山において62歳で入定されました。その功績をたたえられ921年に醐醍天皇より、弘法大師の「大師号」が与えられました。 四国遍路の由来八十八か所霊場の寺院は、大師さまの御跡であり巡礼することが遍路です。当初の遍路は修行僧が中心でした。その後お大師さまに対する人々の信仰の高まりと共に、全国から多くの方が遍路に訪れ、誰しもが一度は訪れたい霊場として発展しました。